『恋と革命』から生まれた日本のカレーライス

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どうも、リア姉です^^

このブログは、私、リア姉と

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弟の非リア弟の2人で運営しております。

 

最近出てこない非リア弟ですが^^;

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以前にこちらの記事でhttps://www.riahiriakyodai.com/entry/2019/10/30/180000

「個人的に、俺はカレーとか、つまみ系好きだから、その辺の記事とかリクエスト♪」

とか言ってたので、今回はカレーの記事にしてみました!^□^

 

 

 

以前に旧ブログでこんな記事を書いたのですが

www.riaanehiriaotouto.com

 

今回はレシピではなく、カレーライスの知られざる歴史と、感動のエピソードについてご紹介していきたいと思います。

 

 

 

先日、インスタントのバターチキンカレーを買った時のこと・・・

前回カレーライスを作った時の福神漬けが余っていたので、それを一緒に添えて食べようとしたのですが・・・

なぜか、これがめちゃくちゃ合わない!! (⁻-⁻;)

同じカレーだというのにいったいなぜこんなにもあわないのか・・・?

 

いつものカレーと食べるとおいしいのに、インドカレーに合わないのはどうしてなのか

気になって調べてみました。

 

 

 

日本のカレーとインドカレーの違い

 日本人が今カレーライスとして一般的に食べているカレーは小麦粉でとろみがつけてあるのに対し、インドカレーは香辛料やハーブを煮込んだ煮込み料理で、小麦粉は使用されていません。また、インドではカレーは料理名ではなく、煮込み料理の総称という扱いです。

 

カレーライスの歴史

カレーライスの起源はインドです。インドで香辛料やハーブを煮込んで作られていたカレーはイギリスが東インド会社の貿易を勝ち取った植民地時代に、イギリスへと伝わります。しかし、インドカレーそのままの形ではなく、イギリス人の口にあうように、シチューのように、小麦粉でとろみがつけられました。

このカレーが日本に伝わったのは、1872年、ペリー来航の時代です。

 

では、福神漬けの登場はいつだったのかというと、福神漬けが誕生したのは1885年。上野の漬物店「山田屋」の店主・第15代野田清右衛門によって開発されたのが始まりです。

なぜ、カレーに添えられるようになったかという理由として、

インドカレーに、チャツネという、果物や野菜に香辛料を加えて煮込んだ、ソース上の物が添えられていたのをまねた、という話もありますが・・・。そもそも日本に伝わったカレーライスはインドカレーではなく、ヨーロッパからの欧風カレーですので、果たしてヨーロッパの物にもチャツネが添えられていたのかというところは定かではありません。

なんにせよ、清右衛門によって作られた福神漬けは、その後人気を博し、その後の日本に長く愛されるようになったのです。

 

つまり、福神漬けがインドカレーに合わなかったのは、インドカレーと、ヨーロッパから伝わった欧風カレーが、同じ「カレー」という名前であるのにも関わらず、全く別物の食べ物だったからなのです。

では日本にインドカレーが伝わったのはいつなのでしょうか?

 

日本でインドカレーが初めてメニューとして出されるようになったのは、1927年のこと。新宿中村屋で出されたのが初めてでした。実はこの新宿中村屋インドカレーができるまでには、何ともロマンチックなお話があるのです。

 

日本のインドカレーは『恋と革命の味』

日本に初めてインドカレーを取り入れたのは、新宿中村屋

今でも、こちらの看板メニューは中村屋印度式カリーです。

 

1915年、当時、インドはイギリスの植民地として、その圧政に苦しんでいました。そんな中、インド人青年革命家ラス・ビハリ・ボース独立運動を行っていましたが、次第にその活動がイギリス政府の目に留まり、政府に追われる身となります。

 

そこで、彼は日本への亡命を決意するのですが、実は当時、日本もイギリスと日英同盟を結んでおり、ボースは、政府から国外退去を命じられてしまいます。

 

しかし、そんな彼を気の毒に思っていた人物がいました。それが、中村屋創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻です。彼らは、危険を顧みず、自身の店の裏にあったアトリエにボースをかくまい、その身を守ろうとしました。

 

そんな夫妻への感謝を込めて、ボースが夫妻のために作ったのが、カレーライスでした。これが、中村屋が「純印度式カリーライス」を生み出すきっかけになったといわれています。

 

その後も、ボースは逃亡生活を送りますが、そんなボースを支えたのが相馬夫妻の長女、俊子です。ボースは場所を一定せず、あちこちで逃亡生活を続けるのですが、中村屋を出た後も、俊子が連絡役となり、中村屋との関係は続いていきました。二人は徐々に心を通い合わせ、ついに結婚することになります。

 

第一次世界大戦終戦後、イギリスによるボースの追及も終わり、ボースの逃亡生活も終わりを迎えます。やっと幸せに、と胸をなでおろしたところでしたが、なんと今度は愛する妻、俊子が26歳の若さでこの世を去ってしまいます。

しかし、ボースはここで日本との関係を断ち切ることはせず、日本人として帰化中村屋の役員となります。そして、インドカレーを日本に伝えるべく、純インド式カレーをメニューとして出すことを決意するのです。

このカレーは、それまで日本に伝わっていた欧風の物とはまるで別物。当時の人々はこの味にかなりの衝撃を覚えたようでしたが、発売後、大人気を博し、その後日本にもインドカレーが定着していったのです。

 

今でも、『恋と革命の味』というキャッチフレーズで売り出されている純インド式カレー。その背景には、ボースの祖国への思いと俊子への思いがあったのですね

 

 

 

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